頼れる粗大ゴミ

「人間が犬畜生になってたまるか」などとは思わない。
子どものころから、相手は変わっても犬と暮らしていることが多い私は、今も周りに三匹の犬がいる。
それを人は「犬を飼っている」と表現するが、食事を与え、便の始末をし、散歩をさせ、風呂に入れ、毛を整え、具合が悪いと見るや病院に連れていく―というのは、人が「お犬様」の従僕となっている姿ではないか。
見方によっては犬の身分が悪いことだらけとは言えない。
「それで人は幸せになるか」ビル・ゲイツをはじめ、ITの推進者(成功者)の何人にも、私は同じ質問を重ねてきた。
辺境で育ち、勉学の志が十分に果せなかったという、そのなかのひとり(アメリカ人)は、ITが教育の機会を飛躍的に高める「幸せ」を指摘した。
が、たいていの場合、私の質問は虚を衝く問いらしく、何ということを聞くのだという表情や、その場をとりつくろう答に接することが多かった。
彼ら自身が「幸せ」であることは明らかである。
リッチだからではない(ビル・ゲイツは世界一の高額所得者だが)。
新しい分野を切り拓き、世の中を変えていく夢は、その実行者たちを文字通り夢中にさせる。
「原子」の扉を開いた科学者たちだって、たとえその先に核兵器が見えようとも、そうだったにちがいない。
だが、問題の中心はそこではない。
「それで人は幸せになるか」が核心のはずである。
IT・グローバル化が猛烈な勢いで進むなかで「9・11」が起きた時、さすがの鈍感な怠け者の私でも、このことを考えざるをえなくなった。
スローフード、9・日、一神教ローマのマクドナルド全ては北イタリアのブラという町で始まった。
そのことがなければ、近隣の人たち以外だれにも知られることはなかったであろう、何の変哲もない小さな町である。
いや、そんな地味な町のことからこの話を始めるより、もっと派手な舞台を起点にしたほうがよいかもしれない。
そうすることもできる話なのだから。
永遠の都、ローマ。
そのへそ″に当たるのがスペイン広場。
名作「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーン扮する王女が、解放感溢れる表情で石段を下りてくる、あの広場である。
一九八〇年代半ばにファストフードのマクドナルドがイタリア進出を決めた時、その一号店をこの観光名所に開こうとしたのは当然の選択だった。
だが、イタリアは「食」の国である。
二号店に人が群がった他の「食」の後進国とは対照的に、猛然たる反対運動が起きた。結果としてはこの連動は開店(一九八六年)を阻止できなかった。
イタリアに家族旅行をした時、ローマで息子が一時、行方を晦ましたことがある。
残る家族で街を歩いていたら、この一号店でデート中の息子を発見した。
イタリア人がアメリカ発のファストフードを嫌悪しようとも、世界中からお上りさんがやって来る都だから、店は賑わっていた。
マクドナルドをめぐるこの騒動は、イタリア全土でかなりの話題になっていたらしい。
北イタリアの知識人たちの酒の入った席で、それを話題にしているうちに、ほとんど偶然に、ひとつのアイディアが浮かび上がったという。
われわれは自動車ではない。
草にガソリンを供給するように、食が供されるようになったら、食を楽しむことも、食の文化も失われてしまう。
開店が阻止できないのだとしたら、それに対抗する食のあり方を主張していくしかない。
ファストフードの反対語は何だろう一「スローフード」という語はこうした議論のなかから生まれた。
おれたちはゆっくりメシを食う(イタリアだからパスタだが)、それを楽しむ、という語感だが、実際にイタリアでこの言葉を聞いたり見たりすると、やや浮いている″感じがある。
母音が多く、綴りが長いイタリア語のなかで、これが英語だからだ。
その違和感がメッセージとして効果的でもある。
とにかく、そういう連動を始めてみようということになり、言い出しっぺの人の郷里に協会の本部を置くことになった。
そこがブラである。
後に私はこの町に取材に出かけることになるが、個人的な興味はこの町の「時計」だった。
「私たちはゆっくり生き、ゆっくり食事をする。
広場の教会の時計台の針は止まっているかもしれない。
正確に時間を刻んでいないかもしれない。
それでもよかったら、どうぞ私たちの町にいらして下さい」というのが、この町のキャッチフレーズだと開いていたからである。
時計は止まっていなかった。
が、イタリアでは当然だが、この町には教会がいくつもあり、時間になると思い思いに鐘が鳴った。
つまり「定時」が少しずつちがうのだった。
そこからあまり遠くない所にある都市はジェノバである。
新大陸を「発見」したコロンブスを生んだ港町、アメリカ産文化であるジーンズはこの町の名に由来するという説もある、アメリカとまんざら嫁がないわけではない都市なのだが、二〇〇一年、そのアメリカが主導するグローバリズムへの激烈な反対行動の舞台となった。
そこでサミット(先進国首脳会議)が開かれたからである。
この種の国際会議には反グローバリズムのさまざまな組織や人が押しかけ、騒乱状態に陥ることが続いていたが、ジェノバではついにデモから死者が出た。
サミットはグローバリズム推進の司令塔、総本山″と目されたからだが、たしかに経済先進国のオエライさんが勢揃いして見かけは派手なものの、そんなに実質があるわけではない。
私は第一回のランブイエ・サミット(一九七五年)の取材を三木武夫首相の同行記者団のひとりとしてやって以来、断続的に何回か取材をしてきたが、年々、内容は空疎になる一方で、はっきり言えば個人的には好きでない。
だが、ジェノバ・サミットは、突然変異のように誕生した小泉純一郎首相の国際舞台初登場という事情があって取材せざるをえなかった。
幾重にも厳重警戒が施され、うんざりするほど検問が繰り返されて出入りは不自由極まりない取材だった。
首脳たちと取材陣は金網のなかに隔離されていて、一般人より特権的と映るが、何のことはない、これは囚人と同じ境遇ではないかと思った。
この境遇を強いられる主因はグローバリズムとそれへの激しい異議申し立ての波なのだが、デモに姿を現わさない形の異議もあるだろう。
ファストフードはグローバリズムの「食」における表現である。
世界中のどこでも、同じ規格の、同じ調理法、同じ味をした食物や飲物が、しかも迅速に供される―。
スローフードは明らかにこの「食のグローバル化」への異議申し立てであり、別の選択肢の提示である。
サミットとデモの取材とは別に、番組スタッフにプラに取材に出かけてもらった。
その結果をまとめて放映した、あまり長くはない特集(「筑紫哲也NEWS」、TBS系)は、日本のマスメディアでこのことを紹介した初めての報道だと私たちは内心誇りに思っている(私自身がプラに出かけるのは、ずっと後のことだが)。
そして、このテーマをさらに掘り下げていこうと考えた。
が、そんなに急ぐこともない。
何しろ「スロー」なのだから―とのんびりかまえていたところに、世界を揺るがす大事件が起きた。
9・11である。
失われた「自由の気風」世界を変えた日1二〇〇一年九月一一日の衝撃については多くのことが語られ、その後さまざまなことが起き続けている。
アメリカの「経済」(世界貿易センター)と「軍事」(国防総省)の中枢に攻撃が加えられたことから見ても、アメリカの圧倒的な世界支配に対する過激な異議申し立てであったことは明らかである。

粗大ゴミが登場です。粗大ゴミをリーズナブルな価格で提供中です。
どんな人にも粗大ゴミに関する、粗大ゴミを導入してみる価値はありますよ!
粗大ゴミは人々を惹きつけます。粗大ゴミのユーザーの声が届いています。